昔は、米作りのための水争いは 絶え間がなかった。滝沢川の水を 一滴も多くとの野田、小倉の紛争 は、幕府の裁定により、小倉二分 (20パーセント)野随八分(80パ ーセント)となり解決をみた。今に 残る「二分堰」はその名残りてあ る。滝沢川の小井堤橋下下流左 岸側よりが二分堰である。