桃井13ケ村と伊香保以下5ケ村 との間のニツ岳もぐさ場入会の紛争 の衝斥えを受けた奉行所は、1668 (寛文8)年7月、検使を遣わし、現 地で裁定した。検使は持っていた竹 の枕を二つに切り、村々の総代が 居並ぶ所に投げ与えたところ、下野 田の名主忠兵衛、すかざすこれを拾 いあげ、「ニッ獄(2本の竹)有難く頂 戴致します」と申しあげ13ケ村側が 勝訴になったという。